神田上水幹線・上から 神田上水幹線・内部  神田上水に代表される江戸上水は、明治から大正にかけて忘れ去られました。都市開発などで地中から現れたものは、極力保存されるようになっていましたが、昭和の戦時体制下の時代になると、 過去を振り返らないかのように粗末な扱いを受けるようになります。それでも、現在はこうした上水の遺構は東京都水道歴史館や各区の歴史資料館で保管され展示公開されています。左と上の写真は、東京都水道歴史館にある神田上水石樋です。昭和62年から平成1年にかけて発掘された、神田上水幹線水路を移築復元したものです。水路内部の寸法は、120〜150cm。 石垣の高さも同様で、ほぼ正方形になってます。蓋石の厚さは30cm。今見ても頑強な作りです

水道本管 掛樋内部

分水井戸  上水は、樋と升の組み合わせで地中で水道網を形成します。水道本管(上左)には石、木、瓦などが使われましたが、 もっとも多用されたのは木です。現在に至っても原型を留めているのはさすがです。 升は一時的に水を貯めたり、水道本管の向きを変えるために使われます。 また、水管理の役人がメンテナンスのために使う水見升というものもありました。町々へは分水井戸(下)を使います。 本管から分水した水を樋で導き、井戸として貯留し地上からくみ上げます。 土地によっては深い井戸もあり、水汲みは結構重労働だったようです
お断り:ここに掲載したものの一部には神田上水以外の江戸上水の遺構も含まれます